>& STDOUT

主にソフトウェアに関する日々の標準出力+標準エラー出力

インターネット個人史

今日でウェブが25周年。その70%をリアルタイムで見てきた世代のひとりとして、極めてパーソナルなウェブ≒インターネット史をまとめてみたいと思います。

Yahoo! Japan

インターネットを買った*1のと同時期にはじまったのがYahoo!Japanでした。当時はクレジットカードなどという危険物は持ち合わせておらず「月々いくら」かかり続けるなんだかよくわからないモノを親に頼むのにはかなり勇気が要りましたが、ナゼかあっさり承諾をもらえて僕のインターネットがはじまりました。いろんな投資をしてもらいましたが、費用対効果をかんがみてこれは会心の一撃だったのではないかと思います。おかげさまでむっちゃ食えてます!ちなみにサービス開始直後のYahoo! Japanはこんなかんじでした。

それしか無かったので名前はついていませんでしたが、後年「ディレクトリ型」と呼ばれる、人力でよさげなページをカテゴリに分けて登録していくタイプです。創業者のジェリー・ヤンは相撲が好きで、最初の検索エンジンのサーバ名がkonishikiだったとのこと。

ジオシティーズ

僕の知る限り日本最初の「誰でもホームページが作れる」サービス。ジャンルごとに街角の名前がついていて(例えば本に関するページならbookland)そのページを訪れた人が何かしらのコメントを残せる「ゲストブック」という仕組みがミソでした。自由に使える素材がどれもこれもケバく、どこをどう頑張っても今で言う「90年代のウェブサイト」にしかならなかったのが郷愁をそそります。

2ちゃんねる

バイト仲間から「おもしろいページがあるよ」というものすごくザックリしたリコメンドをもらって覗いてみたけどぜんぜんわからなくてめったにアクセスしていませんでした。まとめサイトはよく見るくせに未だにネイティブたる2ちゃんねるのほうはあまり見ていません。立てたスレもこの十数年で「Delphiで作られた有名ソフトって何があるの?」ぐらいです。

メーリングリスト

何でも、みんなで集まって好きなテーマで話せる仕組みがあるらしいと聞いて。今も昔もゲーム好きだったので、ゲームについて語るメーリングリストに入っていろいろお話していました。ちなみにここで知り合って仲良くなってよく遊ぶようになって好きになってふられたHさんはその後ポケモンを出す寸前のゲームフリークに入社し、企画やデザインを担当、後日説明書でまんま名前を見てびっくりしました。DSが出た時に「何かアイデアないー?」と久々にメールをもらったのが最後かも。あの頃にGmailが無くて本当に良かった*2です。

テレホーダイとWorlds Chat/J

23時~翌朝8時までつなぎ放題!(56Kbpsでな)というテレホーダイ。このネーミング凄いと思います。もともと接続料金は定額のAT&Tだったので、この時間に限れば本当にページを見放題!IT系に夜型が多いのはこれに原因の一端が無いとは言わせないです。これもバイト先の友達から教えてもらった、当時、、というか今でも画期的だと思う3D空間をペラペラの平面アバターが自由に動き回り、近くにいる人とリアルタイムでお話できる、Worlds Chat/J(略称はWC/J) というソフトにどんはまりしました。雰囲気としてはこんな感じ。いろんな部屋や、隠し通路、裏技があって、それを教え合うのも主要なコミュニケーションで、ベテラン同士になると「神社ね」とかで通じる感じがまたなんとも。画像検索で見つけた時は少しグッときました。


ICQ

アッオーです。僕のICQナンバーは25638612です。"I seek you"のアルファベットよみで”ICQ”。当時はページャーとか呼ばれてた、インスタントメッセージングソフトです。メーリングリストでもWC/Jでも、仲良くなったらとりあえずICQナンバーを交換、というまんま今で言うTwitterアカウント的な存在でした。登録されている友達がいまオンラインかどうかわかる機能の草分けではなかったでしょうか。テレホーダイと同時期に普及したため、23時になると一斉に友達リストがオンラインに変わっていく様子に「いつもの場所に集まっている」という不思議な感覚を覚えました。


Lycos

ライコスのほうがたくさんヒットするよ」。Yahooのディレクトリもほとんど片っ端から見てしまい、ホームページにもそろそろ飽きてきた頃に耳にするようになった言葉です。当時としては珍しいロボット型の検索エンジンで、Yahooでは探せないあんなページやこんなページが出るわ出るわ。「あるとわかっているページはYahooで。あるかどうかわからないページはLycosで」というのが当時の僕のネットサーフィンスタイル(ドヤ でした。いま思えば「普段の生活に役立つページ」ってほとんど無かったような。どうでしょう。

i-mode

衝撃でした。いままで↑こんなにワクワクしてきたインターネットがいつでもどこでも出来る。本当に鳥肌がたちました。AT&Tはなんと当時からウェブメールを提供しており、メールがどこでも読める!という意味不明の万能感を得たのをよく覚えています。会社の人はご存知かもですが、僕の返信が異様に速いのはたぶんこの頃の逆トラウマです。加えてまさかその数年後に”そのソフト作ってる”会社で働いてるとは夢にも思いませんでした。画像は最初に使ったP501iHYPER。あんた、ホントにハイパーだったぜ。…まんなかのレバーが痛かったけど。


テキストサイトReadme!

最初のうちは面白がっていたロボット型検索も、たいがいの言葉を探してしまってさてどうしよう?と焦りだした頃に一世を風靡したのがこの「テキストサイト」というジャンルでした。テキストのフォントでフレーズに強弱をつけて、空白でテンポをつけて日常やニュースを何倍も面白く伝えるスタイルは「侍魂」がパイオニアだったと思います。そういえば「ウェブサイト」って言葉もこの辺から定着しだしたように思います。恐らく「トップページ」と「おしながき」という構造が一般化してきたため「ページ」という表現がそぐわなくなってきたのではないかと。「侍魂」を皮切りに雨後の竹の子のように増殖したテキストサイトをまとめていたサービスが「Readme!」です。友達のサイトもけっこうここでいいランクに居たと思います。

BIGLOBECGI

AT&Tでも2MBという十分なホームページ容量がついてきていたので、そこで自分なりの静的なページをつくっていたのですが、コミュニケーションが発達していくにつれ、どーーーしても掲示板を置きたい。しかし、AT&TではCGIが使えない!ということで当時かなり限られていたCGIが使えるプロパイダであるBIGLOBEに乗り換え。当時運営していた個人サイトには常連さんが10人ぐらい来てくれていたので、定期的にオフ会を開催していました。オフ会!うわあ!相互リンクが友情の証で、いくつかのサイトさんと合同のオフ会なんかも。オフ会!うわあ!

ちょうど友達もウェブサイト開設真っ盛り。その友達のひとりに自分のサイトで自作のmidi(うわあ!)を公開している人がいて、ダウンロードしてきたzipを解凍すると、中にはその楽曲に対する思いや制作ノートを綴った readme.txt が付属していました。なぜか当時はこの readme.txt をものすごく羨ましく感じて「僕もreadmeが書きたい!」(でも音楽とか作れない)「…よし、フリーソフトを作ってそこにreadmeを入れよう!」という今考えても本当に意味がわからない動機でソフトウェア制作*3を覚えました。3本目ぐらいの作品が窓の杜とかに載って、月に10冊ぐらいCD付きの雑誌が送られてくるというはじめての体験もこの辺です。

Google

Lycosより”いい感じに”ヒットする検索エンジンがあるよ」という顧みて実に的を射たリコメンドをもらって使っていたのがGoogleです。ちなみに初めてGoogleを見た時の印象は「検索するとこが横にながーい」です。今でも思います。しばらくしてIT系の会社に入った(まだ居る)のですが、その当時は「ホームページ(この頃は既にブラウザの設定名)にGoogleを指定するのがオシャレ」という謎の風潮がありました。

mixi

このへんからもう「イマドキのウェブ」ではないかなと思います。職種に「ウェブ系」というジャンルが出てきたのもこの辺でしょうか。けっこう初期に登録していてユーザIDが4万台です。自分のサイトを更新するより日記のほうが反応が多いのが嬉しくてしばらくはこちらを更新していましたが、mixiの友達は90%ぐらい非IT系にも関わらず技術的な話が多いのがちょっと申し訳なく、そういう話ははてなダイアリーに移して、いまこちらになってます。


リアルの思い出はだいたいその時々の流行歌と紐づくのですが、ネットの思い出が紐付かないのはたぶん「文字を読んでる」からかな、とふと思いました。おかげさまで人生が500倍(当社比)ぐらいおもしろくなったインターネットへ感謝をこめて。

*1:誤用ですが感覚としてはこれが近い

*2:残るから

*3:最初は"上手に"作ろうとかいう発想自体無かったので正しく制作だと思います