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主にソフトウェアに関する日々の標準出力+標準エラー出力

怒る論。


「怒る技術」という本が大変売れているらしい。買ってないし読んでないのだけれど、この「怒る」という情動には一家言あるので、昔書いたのをリライト。あちらは演出の話で、こちらはどっちかというと感情の制御のはなしですね。


前から常々思っていて、何人かには話もしているけれど、 自他を守る為の調整として以外に、「怒る」事に何かイミあるんだろうか。物事進むの?それで。演出として怒って見せた方がいい、場合を除いて。 でも、それを手段として選択するには少し時間が掛かるはず。事象に対する反射として「怒る」というのは知性を疑う。


ヒトは「びっくりしたとき」に怒ると思うのです。想定外の、自分にとって悪い事象が発生した時、とりあえずの防衛本能として「怒る」。これが湧き上がるのはたぶん本能なので仕方ないと思うから、これを発生させない、のではなく「最初に全部想定しておく」 と、びっくりしないから怒らない。想定だけでいいのね。万物に対して対処まで考えてらんない。


そうすると「怒る」というか昂ぶった感情を平常に戻すというプロセスが省かれるのでより早く、事態に対して冷静に対処できるようになるので便利です。「あー、パターンFの43が来たかあ。どしよっかなー」て感じ。葉隠(の現代約)より。ニンジャは怒らないんだな。


でも、「ヒトの悪意」は中々想定できないので、それが来てびっくりした時は「とりあえずその場から離れる」事にしてます。会社だったら早退ね。んで、一晩経ってみると、そんなに怒ってないし、 そもそも悪意では無かったという事が多い。 もう自分にげんなりするぐらい多い。


気持ちを揺さぶるのは、揺さぶって遊ぶ時、ぐらいでいいと思うのです。感傷とか恋愛とか気持ちの同期とか。遊ぶっていうと違うかもだけれど、揺さぶることを自分で選択したとき。